芝庭で考えた、公園のあり方、自由ということ

今日は、話題になっている千葉公園の「芝庭」に行ってきました。野球場跡地に作られたエリアで、「いつでも だれでも くつろげる 私の芝庭」がコンセプトだそうです。

エリアの中心に広い芝生の広場が広がっていて、利用者が各々自由に過ごしている姿が印象的でした。寝転がったり、ピクニックしたり、バドミントンをしたり、自由な雰囲気が広がっていました。自由さが公園のにぎわいにつながっていると感じました。この「自由」という点がポイントです。

色々な公園を訪れて、特に残念と思う時は、「ボール遊び禁止」、「自転車乗り入れ禁止」、「花火禁止」、「スケートボード禁止」、「演奏禁止」、とにかく禁止事項を示す掲示が多いことです。もちろん、法に触れるような危険な行為、犯罪行為は無くす必要があり、だれもが安心して過ごせる公園であるべきです。

でも、必要以上に禁止事項を増やして、のびのび自由に過ごせなくなっているようにも感じます。自由があまりに制限されて、「行ってみよう!」と気持ちにならないと感じることがあります。

公園はみんなのものです。行政のものではありません。市民、住民の税金を使って整備、維持管理されている公園のあり方、使い方を決めるのは市民、住民の考えです。

利用者がお互いのやりたいことをできる限り自由にやれる場所にする、そのために必要なルールはどうあるべきか、利用者、住民で考えていく必要があります。

安易に禁止事項を掲示することは結果として公園の利用を減らしてしまうことになり、本末転倒です。遊具や飲食施設をいくら充実させても、自由な、楽しい雰囲気のない公園に人は集まりません。

クレームがあったらすぐにそのクレームに応じることだけを考えて「●●禁止」と掲示するような維持管理は止めるべきです。どういう方針で公園を利活用するのか、自由さを保つためにはどこまでをルールとして制限するかをしっかりと議論し、方針にする必要があります。安易に「●●禁止」と掲示するべきではありません。

自由な行為をどこまでOKとするのか、お互い譲り合って気持ちよく利用する文化をどうやってつくっていくのか、この点がこれからの公園のあり方を考えるうえで肝です。

「芝庭」には目立つ形で禁止事項を掲げる案内はありませんでした。そして、利用者はお互いを思いやって過ごしているように感じました。このような場所を参考にしながら、習志野でも、自由で楽しい公園を広げていきたいと考えています。

公園のあり方を考えることは、自由のあり方を考えることになります。自由とは何か、公とは何か、共生とは何か、多角的に考えながら活動を進めていきます。

 

 

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