習志野市による原爆死没者慰霊、戦争との距離感

今日は、習志野市主催の「原爆死没者慰霊および平和祈念式典」に出席しました。

慰霊をし、そして、平和を祈りながら、改めて、第二次世界大戦について考えました。

思い返すと、子どもの頃、そして、大学生ぐらいまでは、第二次世界大戦、太平洋戦争と言われても、遠い昔のように感じていました。亡くなった祖父も日本陸軍の兵士として出征し、祖父から戦争の話も直接聞いていたにもかかわらず、です。

そして、時を経て、家庭を持ち、40代となり、あの戦争が起きた時代は自分よりも2世代と少し前の時代だと捉えると、妙に近く感じます。自分が生きてきた時間を倍した時間(40年間×2)の中において起きた戦争と考えると、かつて遠く感じていた戦争がぐっと身近に感じます。

第二次世界大戦は、国際潮流と彼我の国力の差を見誤って無謀な戦争を開始し、泥沼化した結果、周辺諸国に多大な加害を与え、そして、日本国民も多く犠牲となってしまった戦争と捉えています。

原爆の慰霊に加えて、原爆を投下されるに至ってしまった歴史、当時の国際情勢についても考え続け、そして、今の時代において、どうやって平和を広げていくのか、考えて実践していく、唯一の被爆国の住民の責務と言えます。

自分の持ち場で、考え、行動していきます。

 

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