行政学からの学び:公共サービスの担い手

社会人になって8年目の夏、米国のシラキュース大学行政大学院に留学しました。それまでの業務経験、特に、アフガニスタン駐在時の気づきを踏まえて、「行政学を学びたい!」と考えてその発祥の地である米国に向かいました。

1年間という留学期間でしたが、仕事や社会、そして人生に対する価値観が変わる大きな経験をさせていただきました。

修士号を得た行政学についてはたくさんの学びがありましたが、特に、

「公共サービスの担い手=官」ではない

という考え方に衝撃を受けました。

米国では、公共サービスの担い手としてNGOやNPO、企業が当たり前のように存在しているので、社会において「公共サービスを担うのは政府」という捉え方がされていません。

日本では、公共サービスというと国、県、市がやるものと当たり前に考えてしまいますが、米国では全く違うのです。

そして、そのうえで、質・量ともに良好な公共サービスを効率的に届けるにはどういう体制と担い手がよいか、という考える環境が米国にはありました。この点、日本とは次元の違う発想で衝撃的でした。日米、どちらの公共サービスが良いかという話ではありませんが、考え方としてとても新鮮で、日本の公共サービスのあり方を考え直す大きなきっかけとなりました。

そして、今、市議会議員としてよりよいまちづくりに取り組む中で、改めて、

公共とは何か、

公共サービスとはどうあるべきか、

について日々考えて、具体的なビジョンや事業を打ち出しています。

かつて流行した、民間活力の活用、民間委託といった、民間に任せればうまくいくという一辺倒の考えではなく、また、なんでもかんでも役所が担うべきというものではなく、サービスの受け手であり、出資者(納税という意味で)である市民にとって最良の公共サービスとは何か、考えを深めていく必要があります。

公共とは何か、まちづくりとは何か、市民の皆様と対話を重ねながら、新しい地方政治を習志野で築いていきます。

 

 

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