習志野市政の担い手とは?米国での学びを通じて考えた、公共の担い手

私は、米国にあるシラキュース行政大学院で行政学修士号を取得しました。行政学は米国発祥の学問であり、米国における政治・行政・社会等に関する価値観は日本と大きく異なるため、大学院での現況や生活で本当に多くの学びを得ました。

学びの中で、目からうろこと言えるものの一つとしては、

米国では「公共(Public)の担い手=官・行政」という発想は弱い。

というものでした。

日本では、公共空間や公共施設の担い手というと、国、県、市というイメージを持つ方が多いと思います。公共の担い手は官、行政、というのが当たり前の発想ではないでしょうか。

しかし、米国では、公共というものは行政だけが担うものではなく、NPOやNGO、企業、そして市民が担う、という考え方が当たり前でした。私は、この考え方に大きな衝撃を受けて、それ以来、公共とは何か、公共の担い手とはどうあるべきか、と考えるようになりました。

習志野市政においても、「市政の担い手」を市長や市議、市役所職員に限るのではなく、市内企業や各種団体、そして、一人一人の市民にもっと広げていく仕組みを整えることで、市政がもっと躍動する可能性は大きいと考えます。

公共の担い手とはどうあるべきか、この点を考えながら市政の改善を模索、実現していきます。

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